はじめまして。decoyと申します。
ロスジェネ世代の1977年生まれ独身男。下の上くらいのサラリーマン生活を23年間、47歳まで続けました。最終年収640万円。割増退職金1,200万円。節約と投資で資産を形成。
追記:2024年3月アーリーリタイア
ブログを開始した2021年当初、ネット界隈では、FIREムーヴメントがほんの少しずつ浸透しつつありました。ですが、職場ではそのような考えを持つ人は希少で、定年まで働き、さらに再任用65歳まで勤め上げるのが普通、といった空気でした。
普段の生活では、FIREの話をする機会が無かったので、言いたいことを言える場を自分で作ろうと思い、このブログを始めました。
以下、私の経歴です。
大学卒⇒商社営業3年⇒転職⇒20年勤続⇒2024年3月に完全リタイア。
わたしの学生時代
普通の公立中学校から、普通の公立高校、そして三流文系大学へと進みました。昔からゲーム、漫画、読書、映画が好きで、群れるのは苦手でしたが、目立たぬように適当に人付き合いもこなして学生時代を過ごしました。
ごく普通に、それなりに楽しい学生生活を楽しめたと思います。
わたしの新卒社会人時代(営業職)
三流大学からBtoB専門商社へ営業職として就職しました。就職氷河期でしたので「優良企業」への就職は叶いませんでしたが、当時、民間にも売れ始めていたPCを、ある程度触れるというアドバンテージで、ブラック臭のする企業数社から内定を取ることができました。そして、その中でもいちばん給料が高く規模の大きい会社を選択し、営業職として社会人生活がスタートしました。
ただ・・「わたしには営業は務まらないだろうなあ」という予感は就職前からありました。それでも文系を選んだ時点で、営業というのは既定のルートですので、逃れることは出来ませんでした。「もしかしたら、入ってみれば営業が楽しくなるかも!」という甘い夢は、早々に打ち砕かれる事となります。
毎月80時間を超えるサービス残業は当然のこと、パワハラにアルハラ・・、「ハラ」と付くものは全部受けた気がします。いきなり即戦力が求められる当時の風潮も厳しかったですね。
一人が好きで、属性が闇寄りの私のような人種が無理をして、ガリガリと営業をするのは、やはり心理的に相当負担でした。仕事に行けなくなる事はありませんでしたが、電車で通勤中、
「あー。電車が脱線して怪我しないかなあ?」
とか、
「通り魔が出てきて怪我させてくれないかなあ?」
とか、
かなり不健康な思考状態に陥っていました。そして、少しずつ、休日の趣味の時間でさえ楽しく無くなってきたのです。何をしていても仕事の事が頭をかすめて、モヤがかかっているような感じですね。
この頃の感情を上手に表現できませんが、今思えば「鬱の一歩手前」だった気がします。
わたしの転職後
自分の適性が営業職とは、かけ離れており、
「とてもじゃないけど、定年まで営業は出来ない」
と思い知らされましたので、在職期間3年で大事な新卒カードを使った会社を去る決心をしました。ちなみに、退社時には、次の仕事はまったく決まっていない状態でした。
それでも、退社時の心の軽さというのは、言葉に言い表せないものがありましたね。心の霧が急に晴れた感じです。退職の日の帰り道に見た空が、びっくりするほど綺麗に見えた事は、いまだに忘れられません。
そして、半年ほど、ゆっくりしたら今度は、
「今の私って、ただの失業者だ・・」と、また別の不安がよぎってきました。
運良く3年間の社会人時代で貯めたお金が枯渇する前に再就職活動を終わらせて、次の会社に入りました。給料は下がりましたが、以前の会社とは違い、のんびりしていますので、なんとか20年間続けることが出来ました。
もちろん、理不尽なことや腹が立つことも山のようにありましたが、以前の職場を考えれば対応可能でした。
とはいえ、やはり、一人が好きで仕事は「生活するための糧」であるのみです。楽しさなど感じた事はありません。入社したその日から、漠然と「早く辞めたい。」とは思っていました。20代の頃は、節約して会社の貯金制度(複利で1.0%~1.2%くらい)を活用しながら、貯金に励みました。
季節ごとの宝くじを3,000円分購入し、
「当たったら辞めることができる・・。」
という妄想で心の平穏を保ち、仕事を続けていました。
そして、まとまったお金が貯まってきた2010年前後に「妄想だったアーリーリタイア」に、はっきりとしたゴールを設定できるようになり、ついに投資&リタイア計画が本格的にスタートしました。このときの計画は、
「40歳か45歳までに、アーリーリタイアする。」
というものでした。かなり綿密にエクセルで計画表を作り、修正を加えながら今でも使っています。
(計画しているときが一番楽しいですよね。ポートフォリオとか考えている時間は大好きです。)
ちなみに、宝くじ購入はやめました。まだ遠いですが、はっきりとゴールが見えたことで、妄想に逃げる必要が無くなったためです。その費用も、せっせと投資に回すことになりました。ワンシーズン3,000円だけですけど、塵も積もれば・・です。
わたしの投資経歴
- 2010年、リーマンショック後あたりから、個別株投資を「習うより慣れよ」精神でスタートしました。中大型株の中長期トレードでキャピタル、インカム共に狙う感じの手法で、そこそこの利益がありました。決して無理はせず、初心者という事もあり、かなり慎重に取引していました。現在も、投資の核ではありませんが、個別株のポジションがあります。
- その後、FXが投資の核となりました。ニュージーランドドル、オーストラリアドルを中心に取引をしていました。かなり乱暴なロジックの元で取引をしていたのですが、こちらも利益を出すことができました。
ですが、FX取引に関しては完全に停止しました。たいしたロジックも無く、運と時世で買っていた感しかありませんでしたし、そのうちにドカンと負けて大怪我をする予感を常に感じていました。要はFIREを考えるにあたって、FXは不確実性が過ぎると感じた訳です。 - FXのポジションを全て決済して、投資信託によるインデックス投資へ移行しました。国内株式、国内債券、先進国株式、先進国債券の4つを25%ずつ買っていき、1~2年かけて資金移動をしました。しばらくの間は、給料も機械的に4分割して入れるだけの投資をしていました。自分の感情が入らない投資であり、ある程度の利益は出ますので、私に合っていたと思います。
- しかし、資産が増えてきてFIREが具体的に見えてくると、どうしても投資信託の取り崩しで生活をしていくという退社後の姿が気になりました。不合理なのも、非効率なのも十分に承知してはいるのですが「配当で生活」の方が、自分にマッチしている気が、この当時はしたのですよね。
今にして思えば、「自動取り崩しサービス等」便利な仕組みがあるので「投資信託毎月一定額取り崩し」が、楽で効率的だったのに・・、と思います。 - 最後のポートフォリオ大幅変更を行いました。
まず、投資信託の毎月の積立は継続しますが、先進国株式85%新興国株式15%と変更しました。債権はパフォーマンスが悪いですので、現金を多めに持つことにより、債権に代わる暴落対策としました。
配当収入が得られる投信の核にあっては、米国株に決めました。アメリカは問題も多々ありますが、人口増の国であり、常に革新的な産業を生み出せる国でもあります。私が生きている数十年くらいは覇権が続くと判断しました。
個別株では心穏やかになれませんので、高配当ETFを選択することに。BNDやAGG等の債権も考えましたが、バイ&ホールドが基本戦略ですので、株式100%の高配当株ETFに決定。最後まで残った候補が、VYM、HDV、SPYDでした。シンプルポートフォリオが好きですので、HDV100%にしたかったのですが、生活費と配当金のバランス、そして、最短の退職年を2022年と考えると、それでは思い通りの配当が得られない計算結果となりました。
最終的に投資の核の米国ETFは、HDV50%、SPYD40%、PFF10%という割合に決定し、現在に至ります。(突然出てきたPFFは以前から持っていたものを、最終ポートフォリオにそのまま採用したものです。) - 現在のポートフォリオ詳細はこちら。
アーリーリタイア計画の詳細はこちら。
退職後は何をするのか
映画、本、ゲーム等のお金のかからない趣味で、幸せになることが可能ですので、貧乏アーリーリタイア適正は高いと思います。
また、近所にそれなりの規模の図書館があり、生涯かけても読み切れないほどの蔵書があります。
ゲームはSteamでRPGやシミュレーションゲームを好んでプレイ。気に入れば、同じゲームを永遠とやっています。
映画は、年間で約50本、海外映画9対日本映画1くらいの割合で見ています。アクション、サスペンス、ホラーなどが好きです。マイベスト映画は、「この世界の片隅に」「恋はデジャブ」。